<目から鱗特集>記事を読む前に・・・
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七五三って、男の子は5歳でするわよね?
でも、数えだと4歳の11月?
まだ先だと思ってたけど、今年じゃない!
毎日バタバタしてるから、すっかり忘れてたわ
七五三のことなんて…
https://twitter.com/Yukisan_777/status/1062862537618673664
なになに?満年齢でもいいの?
でも、ウチの子早生まれだから、
同じ年中さんのお友達は、今年で5歳!
今年の11月に七五三するっていうお友達が多いのよね~~~!
お友達は済ませたのに、ウチの子は来年って言うのもどうかしら?
ウ~~~ン…悩むなぁ~~!
早生まれのお子さんをお持ちの親御さん、
特に、男のお子さんをお持ちの親御さんは、
5歳の時の
七五三の時期を悩まれる方が多いと思います。
遅生まれのお子さんは、5歳になる年に年中さんになりますが、
早生まれのお子さんは、4歳と数か月で年中さんになります。
早生まれのお子さんがみんなと同じ5歳になるのは、
翌年の1月~3月、それまでは、ずっと4歳です。
心身ともにこの差は、4~5歳のお子さんにとっては大きいでしょう。
落ち着きなさすぎる4歳男児相手にちゃんと袴着付けてくれたスタジオマ○オのスタッフさんプロすぎた、ありがとうございました
— 留萌チハル@ガチャ禁 (@rumoi_c) November 15, 2018
記念に写真も撮りたいですし、
そうなると、
羽織袴姿にさせたいという親御さんのお気持ちも解ります。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/女性困惑.png)
でも、年長5歳の11月だと、
翌年の4月には小学校入学で、何かと物入りで忙しい時期なのよね。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性真顔.png)
やっぱり、数え年でやるもんだし、
年中さんのお友達と一緒がいいんじゃないか?
無理に袴を穿かさなくてもいいじゃないか!
レンタル料だってばかにならないし、
入学式用のスーツと同じでもいいんじゃないか?
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/女性困惑.png)
2年後のスーツ今買うの?
入学式になんて、サイズが合わなくて着れないわよ!
それに、男の子5歳の七五三は袴着の儀式なのよ!
袴、穿かせたいじゃない!
もおっ!
先輩ママに相談するから、パパはいいわ!
どうせ、お小遣い減らされると困ると思ってるだけでしょ!
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性困惑.png)
そんなに怒ることないだろ!
ゴローだってそんな窮屈なもの着たくないだろう!
無理やり着せることないよ!
子供のための七五三じゃないのかよ?!
あらあら、ママとパパ、ケンカになってしまいましたね。
これは大変!!
私は、夫婦げんかの仲裁に
ちょっとお隣りへ行ってきます。
早生まれの男の子の親御さん、
七五三について、
あなたも、ご一緒に考えてみませんか?
Contents
七五三の黒歴史
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![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
どうしたの?ケンカなんて珍しいわねぇ~。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/女性困惑.png)
あ、隣のおばさん!
聴いてください!
だって、パパったら、ゴローの七五三に
袴を穿かさなくていいって言うんですよ!
袴着の儀式なのに!
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ゴローは早生まれで、まだ体格もちっちゃいし、
おとなしくできないんだから、
無理に袴を穿かせることないって言っただけだろ!?
いったい何のための七五三なんだよ?!
子供のためだろ?
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
まあまあ、ふたりとも落ち着いて!
確かに、5歳男児の七五三は、「袴着の儀式」といわれるわね。
まずは、そもそも七五三って、どういう儀式なのか知ってるかしら?
「七つまでは神のうち」
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/女性困惑.png)
知ってます。
昔は今みたいに医療技術も進んでいないし、
数えで7歳ってことは…今の6歳くらいまでの幼児のうちに
死んでしまう子がたくさんいたのよ!
だから、無事に3歳になりました、
5歳になりました、
7歳になりましたって、
神様に報告と、お礼を言いに神社に行くんですよね?!
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それなら
「5歳まで無事に育ちました」って、
神様にお礼を言って、
「これからも健やかに育ちますように」って
お祈りすればいいんだよ!
袴を穿かせるなんてのは、武士の儀式なんだから、
なごりで残ってるだけなんだよ!
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
なごりと言ってしまえば、そうなんだけど。
確かに「袴着」の儀式は
5代将軍徳川綱吉が、世継ぎの我が子の徳松が5歳の時、
健やかな生育を願って行ったもので、
それが、明治時代になって、今の七五三になったらしいわ。
じゃぁ、子供の健やかな成長を願って、神様に参拝するのは、
どうして7歳までなのか知ってる?
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それは…
昔の子供は体も小さかっただろうし、弱かったから?
それに…
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今みたいに薬もなかったし、医学が発達してなかったからだろ…?
それと、奇数が吉数だから!3と5と7。
陰陽道か風水かなんかでそんなこといってたなぁ!
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じゃ、9歳でも良かったんじゃない?
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昔は、7歳までが子供で、
8歳から大人扱いされた…とか?
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パパ、武家では、大人になるのは14歳よ!元服の儀式があるわ。
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「七つ前は、神のうち」って、聴いたことない?
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「七つまでは神のうち」っていう映画なら知ってるけど?
10年くらい前かな?ホラー映画!
あ、むかしむかし、「この子の七つのお祝いに」っていう
ものすご怖~~い映画もあったな!
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やだ、パパったら!
そんな怖い話やめて!
七歳までは子供は神様だってことですよね!?
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
そうね。いいように言えば、
7歳までの幼い子供は、無邪気な存在で、
悪事といっても、たわいないことで、
何をやっても許される。
それは、神の子であるからで、
たとえ、病などで命を落としても、それは親の責任ではない。
神様に返しただけだって言うことになるという…
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性困惑.png)
いいように言えばって?じゃ、
悪く言うとどういうことなんですか?
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悪く言うというか、
本当は、
7歳までの子供なら、間引きや捨て子をしても
神様にお返しするだけで、また生まれ変わってくるから、
だから許されるという、
そういうことだったみたいね。
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え?間引き?
間引きって何ですか?
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望まれず産んだ我が子を殺すことよ。
昔は、避妊する方法も、堕胎手術もない。
貧しい庶民は生活のため、
産んですぐに我が子を殺し、子供を間引いてたのよ。
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歴史の教科書で観たような気がする。
江戸時代だったかな?恐ろしい絵だったから覚えてるよ。
でも、金持ちの公家や武家はそんなことしなくてもよかったんだから、
庶民の間だけのことじゃないんですか?
七五三は、公家や武家の儀式だったんだから、
そんなの関係あるのかなぁ~?
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確かに、公家や武家は、そこまではしなかったけど、
幼児の死亡率が高いことは、ほぼ同じ、別の意味で差し支えてたのね。
そもそも、7歳という区切りは、平安時代の貴族にあったようよ。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性困惑.png)
えええ~~~?
公家や武家は跡取り問題とか、よく時代劇に出てくるじゃないですか!
子供を大事にしてたんじゃないんですか!?
そんなこと言われても、信じられないよ!
パパさんじゃなくても、
「そんなこと言われても、信じられない」ですよね!
それでは、ここからは
七五三の黒歴史を検証いたしましょう!
逆説!「七つまでは神のうち」
平安時代の話をする前に、
「七つまでは神のうち」という言葉は、
いったいいつから使われていたのでしょうか?
大正~昭和の民俗学者「柳田國男」が使った言葉のようで、
柳田国男は大正三(一九一四)年の「神に代りて来る」の最終部分で、 「七歳になる迄は子供は神さまだと謂って居る地方があります」と述べ、‶七つ前は神のうち”説を主張した。だが、柳田はこの段階で具体的な事例をあげたわけではなかった。
その後、昭和十二(一九三七)年になって、能田多代子が「七つ前は神様」という小論で、青森県五戸地方での事例を紹介し、
翌月には、大間知篤三が「七ツ前は神のうち」という小論で常陸多賀郡高岡村での事例を紹介した。
この二つの事例紹介をうけてか、柳田は昭和二十年に、
「先祖の話」のなかで、再度「七歳までは子供は神だといふ諺が今もほぼ全国に行われ居る」と強調した。
ただ、この時も具体的事例は提示されなかったのである。
しかし、“七つ前は神のうち”説は、その後、柳田の教えを踏襲した
大藤ゆきをはじめとする民俗学の分野で主流となり、やがて、歴史学や教育学など他分野でも無批判に受容され、この言葉が一人歩きして頻繁に使用されるようになっていった。
(中略)
その後もあいかわらず“七つ前は神のうち”といった表現が消えることなく、というよりは、さらに広範囲な分野であたりまえの常識であるかのごとくにたれ流されていく。
(中略)
さらには、(中略)“七つ前は神のうち”といった観念が、あたかも縄文時代から連綿として続いていたかのように主張されているのである。
太古の昔からある観念ではないようです。
しかし、神社本庁のホームページにも
今とは違い、当時は医療が進んでいなかったために乳幼児の死亡率も高く、子供を七五三の年齢まで無事に育てることは並大抵なことではなかったのです。
「七つまでは神の内」と言うように、それまでの子供の成長は神さまにお任せするしかありませんでした。
我が子の成長を喜ばない親はいません。
七五三では、子供が無事に育つことができたことを皆で祝い、これまで見守って下さった氏神様やご先祖様にお参りをして感謝の気持ちを表し、これからの健やかなる成長をお祈りしましょう。
引用:神社本庁/七五三
ハッキリとした記述があるくらいですから、
日本人の常識となっていると思っても不思議ではありませんね。
さて、話を平安時代に戻しましょう。
「七つまでは神のうち」というが概念が、昭和のものだったとしても、
この「7歳」という区切りはどこから来たのでしょう?
初めて、法律上に規定として登場するのが、
757年奈良時代の養老律令だそうです。
「名例律」三十条には、「九十以上、七歳以下、難レ有二死罪一、不レ加レ刑」とある。こうした「九十以上、七歳以下」を絶対責任無能力者とする考え方は、中国では「周礼における三赦之法その他にも見出される法思想」で、唐名例律に明文化され、日本でもそのまま踏襲されたことがわかっている。
また、「假寧令」四条には、「凡無服之膓、生三月至二七歳一、本服三月、給二假三日一、一月服二日、七日服一日」とある。
つまり、七歳以下の幼児が死去した際、親がその幼児に対してどれだけの日数假に服するかを規定したものである。しかし、「假寧令」では、幼児がその親の死去に際して喪に服すべきかどうかは規定されていなかった。そのため、平安朝に入って、伝染性の触稜観が強まってくると、神事などの儀式挙行にあたって、この点が問題になってくるのである。
この、柴田純さんの「”七つ前は神のうち”は本当か」によると、
奈良時代、養老律令に定めてある内容から、
90歳以上7歳以下の人は、「絶対責任無能力者」として、
罪にも問わず、刑罰を科すこともしないとあり、
これが、後に「七つまでは神のうち」という概念に
結びついていくと考えたようです。
そして、一見、関係が無いように思われる
「幼児がその親の死去に際して
喪に服すべきかどうかは規定されていなかった」
ことが、平安時代に入って問題になってくると、述べています。
ここからは、私の要約で恐縮ですが、
平安貴族たちにとって、神事儀式はとても大切なことであり、
親族の喪に服したがために神事や儀式を逃がすことは
できるだけ避けたかったのです。
特に幼児は死亡する率が高く、たびたび、
貴族から明法家(法律の権威者)に、
神事儀式を取りやめにしなくてもよいかというお伺いを立てていたようです。
その際の書簡や、
幼児の弔いについての書籍の記述を例に挙げて、
神事儀式の挙行のために、
大人の都合で
幼児の存在を社会から疎外していったのではないかと
推察しています。
考察するために例として挙げられている書籍を見ましたが、
平安末期、鎌倉初期の、亡くなった幼児に対する扱いは、
驚くばかりに残酷で、
白河天皇の皇子が4歳で亡くなったときは、
野辺の送り(葬儀)にお坊さんも付けず埋葬しているし、
後鳥羽上皇の姫宮が6歳で亡くなった時など、
袋に詰めて山野に捨てるという、恐ろしい記述が出てくるのです。
そして、その幼児を社会から疎外する法律や人々の概念は受け継がれ、
養老律令では、数日は喪に服すとありましたが、
○04 無服殤条
無服〔むぶく〕(=喪服を着けない心喪)の殤〔しょう〕(=未成年の死者){生後3ヶ月より7歳に至るまでをいう}には、本服〔ほんぶく〕(=本来なら喪に服すべき)3ヶ月(をすべき場合、つまり嫡子)ならば、假を3日与えること。1ヶ月の服(つまり衆子・嫡孫)には2日。7日の服(つまり衆孫・兄弟の子)には1日。
近世、江戸時代、1684年制定の「武家服忌令」
1693年の改訂版には、
「七歳未満の小児ハ無服忌、
父母ハ三日遠慮、其外之親類ハ同姓にても異姓にても一日遠慮、
日数過候ハ・、追て不及遠慮、但八歳より定式之服忌可受之、
附、七歳未満の小児之方へも服忌無之、父母死去之時
ハ五十日遠慮、其外之親類ハ一日遠慮、父母ハ年月を経て
承候共、聞付ける日より五十日遠慮すへし、」つまり、幼児が死去した場合と、親が死去した場合の
いずれにおいても、幼児は服忌の対象から除外される
というのである。ただし、孝重視の立場から、
親が死去した場合には「遠慮」がより手厚くなっている。
と、喪に服すことさえ無くなってしまっています。
代わりに、「遠慮」という言葉で、弔意を示しているのでしょうか?
江戸時代初期、
7歳以下の幼児は存在を明確に除外されて行くのでした。
そして、この「武家服忌令」は、町のお触れとなって、
庶民にも適合させてゆきます。
その趣旨を広められ、庶民にも浸透していったようです。
その詳細も、文献を多用して検証されていますので、
お読みいただければと思います。
童謡「通りゃんせ」は神隠し(捨子)の歌?
パパさんが観たことがあるという、
「この子の七つのお祝いに」という映画のテーマソングは
「通りゃんせ」でした。
この映画は、「通りゃんせ」の歌詞から題名を付けたから、
かもしれません。
この、通りゃんせの歌が、
「捨子」の歌だという説があります。
わたしも、この解釈が一番しっくりきます。
天満宮に子供を捨てに行く唄だそうです。
捨て子が余りに多いため、誰も拾わず見殺しにしていた頃、
天満宮の境内で捨てられた子供だけは神社が拾って育てたという噂が広まって、みんな捨てに行った。警備の人間もそれを分かっているから、中々子連れの女を通そうとしない。
で、子供の七つのお祝いにお札を納めに行きます、と嘘を言って捨てに行く。
行きは子連れだからよいが、
帰りは「子を捨てた母親」のレッテルを背負って帰るから「怖い」。
でもそうしなければ親子共々飢えて死んでしまう。だから怖いながらも通りゃんせなんだと。
引用:【恐怖】怖い話/怖い童謡
日本の童謡には、庶民の悲しい気持ちを、
隠すように込められた歌が、いくつかあります。
なぜ、こんな怖い歌を童謡にしたのでしょう?
童謡なら、歌い継ぐのは子供です。
権力者や警察などに咎められることもなく、
確実に歌い継がれるでしょう。
それほど、やるせない気持ちを誰かに聴いてほしかった!
伝えたかったのではないでしょうか。
わらべ歌として自ら口ずさむことによって、
自分を責めたのかもしれませんね。
七五三の開祖?徳川綱吉
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ひどい!!
ひどすぎるわ!
貧しくて飢えてるからならまだしも、
神事のためだなんて…
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
そうね。
でも、その時代、神事や儀式は自分のためじゃなくて、
帝のためだったり、都の存亡が懸かってたり、
いわゆる貴族の仕事だったわけで
要職にあれば、なおのこと
しかたなかったんじゃないかしらね?
貴族だって、我が子が可愛くないわけじゃないと思うわよ。
徳川綱吉の「生類憐みの令」
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でも、ママ、大丈夫だよ!
戦国時代は終わったんだから。
そして、今の時代があるんだから!
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その通りね!
戦乱の世が終わり、「村」や「町」が定まって、
「家」が安定してくると、社会も安定してくるわよね。
いろいろな職業が安定して、
庶民のお医者さんも出てきたんじゃない?
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「赤ひげ」とか?
「暴れん坊将軍」に出てくる「小石川療養所」とか?
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そうそう!パパさん、歴史に詳しいのね。
そして、七五三の発祥にもなった「袴着の儀式」を行った
徳川綱吉の「生類憐みの令」の第1条は
捨子禁止、養育を命じるものだったそうよ。
貞享四年(1684)一月、「生類憐みの令」の最初の法令が出されるが、
その第一条は捨子の養育を命じるものであった。
元禄三年(1690)には単独の捨子禁止令が出され、
捨子禁止と罰則の強化、
発見時の届け出と村や捨てられた場所の管理者による養育の義務化、
養育者への給付等支援などが定められ、
その後も罰則強化(死刑適用)・妊婦登録義務化など矢継ぎ早に捨子関連法令が出され、幕府の最優先課題として捨子対策が次々と打たれていく。
各藩でも幕法に基づいて捨子禁止令が出され、捨子取締りはやがて地域の人々の結婚・出産・誕生・就職・死亡など人の出入りを徹底的に管理する人口管理政策へと発展していくことになる。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性真顔.png)
さすが!徳川綱吉!
ママ、やっぱりゴローには袴を穿かそう!
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/女性真顔.png)
パパったら!
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フフフ。仲直りしたなら、それでいいんだけど、
おせっかいついでに、教えといてあげるわ。
この辺の氏神様は、○○神社だからね。
△△神社の方が近いけど…
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知ってますよ!
おばさん、
ゴローのお宮参りの時に教えてくれたじゃないですか(笑)
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あらやだ、そうだったわね!
七五三は氏神様へ
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お参りは、やっぱり氏神様へ行く方がいいですよね?
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
そうね。最近は、どこでもいいようなこと言うけど、
神社へ参詣して、袴着の儀式などを行う
今の七五三のスタイルは、
氏神様へ出生届を受け付けるようになった明治時代なのよ。
明治4年、「氏子改(ウジコアラタメ)規則」という規則ができたの!
新生児はかならず氏神様にお参りして、お札をもらい、
藩籍という戸籍を登録するようになったのよ。
7歳以下の子供も戸籍を持つようになったのね。
これが、
お宮参りの始まりだわね。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性真顔.png)
そして、その子の成長に合わせて、
七五三のお参りに、氏神様へ行くようになったんだね。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/女性真顔.png)
じゃぁ、それまでは、
7歳以下の子供の戸籍はずっと無かったの?
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
大丈夫よ、ママさん。
確かに、氏子改規則が整うまで、
江戸時代には戸籍というようなものはなくて、
「宗門人別改帳」という、
お寺の檀家名簿が、その役割をしてたのね。
そのころは、「寺請制度」という
お寺の檀家にならなければならないという
制度があったからね。
もともとは、キリスト教禁止、仏教保護のためだったんだけど、
この帳面にも8歳にならないと載らなかったの。
その後、1685年に生類憐みの令が出ると、
続々と各藩で「捨子禁止令」を出し、
1767年には、「間引き禁止令」も出されたため、
いよいよ7歳以下の子供の戸籍を管理する必要が出てきたのね。
そこで、幕府は、名主(庄屋)に命じて、
帳面に7歳以下の子供も記入、管理させるようになったそうよ。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性真顔.png)
幕府もやる気出したってことかな?
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
幕府にすれば、名主制を強化することによって、
農民を組織化して年貢を取り立てるための管理
という目的もあったと思うけどね。
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性困惑.png)
まぁ、それはあるかも。
でも、幼児を保護する制度の整備にもなったってことだよね。
そして、時代は明治へ!
今度は、神社の氏子にならなきゃいけなくなったわけだけど(笑)
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
そうね(笑)
寺請制度は、幕末頃には、堕落した僧侶の温床にもなってたし、
明治維新は尊王攘夷から始まり尊王倒幕へ。
神道国家への道をたどってきたわけだしね。
「氏子改規則」も、
規則そのものは、国民総氏子になって、2年で廃止されたけれど、
ほぼ同時に(1か月前に)、戸籍法を制定していて、
神社は、登録してお札を渡す窓口の役割で、
管理統制は、役所がしていたから、
氏子制度は、実質上、
昭和20年第二次世界大戦敗戦まで続いたそうよ。
氏子調(うじこしらべ)または氏子改(うじこあらため)は、1871年(明治4年)から1873年にかけて明治政府が行った日本の政策である。国民に対して在郷の神社(郷社)の氏子となることを義務付ける宗教政策である。
出典:ウィキペディア/氏子調
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/女性真顔.png)
そうして、氏子神社へお参りにいくようになったというわけね。
七五三には、そんな幼子への愛の歴史があるのね~~~!
パパ!怒ったりしてごめんね!
私、力を入れるポイント、間違ってた!
袴を穿かせるなら、
ちゃんとその意味を話してやらなきゃ!
早生まれだけど、まだ4歳だけど、
ウチのゴローは、本当の七五三の話をきかせてやれば、
大切な節目の儀式だってわかってくれるわ!
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/男性真顔.png)
そうだね、ママ!その通りだよ!
ぼくが話すよ。
怖い話も!
ただ怖いだけじゃないから。
医者も薬も無くて、
神様に祈るしかなかった時代の子供たちのことだから!
そして、袴着の儀式がどうしてあるのか。
ゴローにも、一緒に考えてもらおう!
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/03/女性真顔.png)
私は、「通りゃんせ」に込められた
母親の想いを話すわ。
深いところまでは解らなくても、
今のゴローが、何か大事なことなんだなと
感じてくれれば、それでいいと思うの!
![](https://www.fyamagami.com/wp-content/uploads/2019/06/母.png)
そうして!
小さな子供に、昔の人の話をすることは、
悪いことじゃないと思うわ!
今の生活の、何ひとつとして、
当たり前じゃないってことを
パパさんの口から、語ってあげてね。
もう、4歳だもの、きっと解るわ!
素敵な七五三にしてね!
そうそう、私のようなおせっかい婆が
ご近所に居ないかたは、
もし、ご自分の氏神様がわからない場合、
神社本庁にお問い合わせください。
教えてくれますよ!
まとめ
我が子の七五三。
親御さんはいろいろと悩まれると思います。
特に、早生まれの男の子となると、特有のお悩みがあるようですね。
- 参詣の時期 年中さん(数え 4歳)or年長さん(満年齢 5歳)
- 衣装 紋付袴の和装は4歳では子供に負担なのか?
- 費用 小学校入学や兄弟の七五三などとのタイミング
切実なお悩みですが、これらの問題の判断は、
親御さんにお任せすることにして、
ここでは、その判断材料として、
七五三の本質をその歴史から考えてみました。
①「七つまでは神のうち」
7歳(満6歳)までの幼い子は、
無邪気で何をやっても許される存在である。
② 逆説!「七つまでは神のうち」
7歳までの幼い子供は、神の子であるので
間引きや捨て子は神様にお返ししているだけ。
子供は生まれ変わってくる。
↑柴田純「”七つ前は神のうち”は本当か」
による、歴史的考察。
③童謡「通りゃんせ」は、神隠しの歌
天神様(天満宮)へ幼児を捨てに行く歌である。
そこに隠された、庶民の辛く悲しい想いを考える。
①「生類憐みの令」は捨子禁止令
江戸時代、幼児生活の安定とともに
保護の気運が高まる。
②七五三は氏神様へ
明治時代、氏子改(ウジコアラタメ)により、
7歳以下の子供も戸籍を持つことになる。
→七五三は今のスタイルになる。
「七五三の黒歴史」と題して
おめでたい七五三にはそぐわない、
怖いお話をさせていただきましたが、
私自身、子供たちは保護されなければならないと考える者です。
「七つまでは神のうち」につきましては、
柴田純さんの「”七つ前は神のうち”は本当か」を読み、
お話させていただきました。
私も、幼い子供の無邪気さには、神聖なものを感じますが、
子供は決して神様のものではないと思います。
七五三をお迎えになるお子さまの
健康と幸せを願って!
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